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文科の某教授
池の周囲の磁力測量、もっとも伏角だけではあるが、数年来つづけてやって来て、材料はかなりたまっている。地形によって説明されるような偏差がかなり著しく出ていておもしろいから、いつかまとめておきたいと思いながらそのままになっている。池の断面の形をした鉄板の片を電磁石の間において、それに鉄くずを振りかけて、その磁力線の分布を、実地と比較した学生もあった。
 池の氷が張りつめた上に、雪が積もると、その表面におもしろい紋のような模様ができる。これはドイツで Dampflcher と称するものだそうで、この成因はあまり明らかでないらしい。田中阿歌麿(たなかあかまろ)氏著、「諏訪湖(すわこ)の研究」上編七一六ページにこれに関する記事と、写真がある。数年前の「ローマ字世界」にも田丸(たまる)先生が、この池のものについておかきになったのが出ている。先生がたのお手伝いをして、例の小船で調べて回ったこともあったが、とにかくおもしろい現象である。
 先年水温を測る時の目じるしに、池の中のところどころに立てておいた竹ざおが雪の薄くつもった氷の上に頭を出している場合に、さおの北側へ妙な扇形の模様ができる事があった。これもおもしろいものである。これに関してはかつて気象集誌に簡単な記事を載せておいた。
 池の水の振動、いわゆるセイシについては、本多(ほんだ)さんたちの調べた結果が、大学紀要の二十八巻の五に出ている。ブリキで作った小さな模型もあったはずである。この池の水の運動についてもまだ調べれば調べる事がいくらでも残っている。池の測深もその時やった結果が紀要に出ている。案外深い池である。
 自分の知っているだけの文献を数えてみても、これだけあるのだから、私などの知らない他の方面の学科に関するものをあげたら、ずいぶんな分量になるかもしれない。これから後にもまだどれだけの可能性があるかわからない。
 こんな事を考えてみると、あの池は、いつまでもつぶしてしまいたくない。大学の地面が足りなくなって、あらゆる庭園や木立ちがつぶされる時が来ても、あの池は保存しておいてもらいたい。景色や風致がどうであるというのではなくて、何かしら学術上の研究資料の供給所として、あるいは一つの実験用水槽(すいそう)として保存してほしいのである。
 ついでながら、あの池の成り立ちについても問題がある。ある人の話では、元来あすこに泉があったのを、前田家(まえだけ)の先祖が掘り下げて、今の形にしたのだそうである。そう言えば池の西北隅(せいほくぐう)から水がわいているらしい。そのへんだけ底に泥(どろ)がなくて、砂利(じゃり)が露出している事は、さおでつついてみるとわかる。あの池から、一つの狭い谷が北のほうへ延びて、今の動物地質教室の下から弥生町(やよいちょう)の門のほうへ続いていた事が、土工の際に明らかになったそうである。この池の地学的の意味についても、構内のボーリングの結果などを総合して考えてみたら、あるいは何事かわかりはしまいか。こんな空想を描いてみる事もできる。

 文科の某教授がとった、池を中心とした写真が、何枚か今のバラック御殿の間(びかん)にかかっている。今ではもう歴史的のものになってしまった。私はいつか、大学百景といったような版画のシリーズを作ったらおもしろいだろうと思った事があった。もしそんなものができるとしたら、その内の少なくも十景か十五景かの中には、きっと、この池の一部がはいっていたに相違ない。それほどに、この池は、風致の上から見た大学にとって特異なものである。それが一夜の火事でだいぶんに変わった。こういう変化は無論不可逆的変化である。これからさきどんなに美しく変わるかしれないが、大正十二年以前に、大学の門をくぐった人々の中にある「池」の影像はやはり火災以前のそれでなければならない。

 われわれの池が、いろんな小説や感想文の場面に使われた例もなかなか少なくなさそうであるが、このほうの文献はそのほうの専門家にお願いしたほうがよいと思うから、ここではいっさい触れない事とする。
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